信念を

ここで生活を始めた最初の頃、元宣教師だったと云う90歳の先輩に

「ここでは信念を持って暮らしなさい」と教えられた。

ニコニコ顔で廊下でお会いして挨拶を交わす間もなく突然のお言葉。

はー、信念か、ここでの信念とは何なのか。

答えを頂く前に自問自答し今日に至って居る。その先輩は朝の散歩中 木の根に躓き骨折し車いす生活に。

でも、いつもニコニコ朗らかに暮らしていらっしゃる姿には励まされるのですが。

今まで信念を持っていたかどうか 忙しく追いかけられるような生活の中でそんなこと考えている間がなかったかも、とか 親の教えとか 道徳とか 6歳から般若心経を毎日5回唱えさせられていた信仰とかを考えていたが それは信念ではない。

ばぁばちゃん なんて自分のことを言ってる場合じゃないかも。

 

 

 

コロナ

コロナが5類になると云う。

ここホームでもコロナはやってきた。最初は職員から入り、その職員と頻繁に接触している比較的体の衰えている方が発症。目に見える形で伝わった。ある方は夫が発症し妻も濃厚接触者と云う事で共に自室待機一週間。食事と薬は入り口まで武装?した職員が運び声を掛け外の台に置き、職員が去った後戸を開け自室に入れ、終わったらそっとその台に返しておく。成るべくして同居している妻も発症。二人で2週間、誰とも会わずいた。老人で衰えが顕著だからと保健所指導でプラス3日間待機、やっと回復が認められて通常の生活を許され夫婦で食堂に来られたが、「今日は何日ですか?何曜日ですか?」と。日にちと曜日を教えると「頭がぱーになりました」と腕を上の方に伸ばし指を花が咲いたように広げた。顔を見ると目には涙が浮かんで悲しそう。

「大丈夫、大丈夫、お庭に出てお花の世話をしたり散歩しているうちに元のようになりますよ」と声掛けしたが本当に大丈夫か。元に戻らなければ違う施設に移されるのかと行く末を案じている。

5類になって環境はどう変わるのか、コロナの無力化を願う。

寒い朝

今朝も寒い。今日も寒い。寒い朝はホットカルピスが良い

ほとんど4時ごろ目覚め、気分で朝一番の飲み物を決め用意する。歯を磨き冷たい水で顔を洗い、今日も元気と少し化粧し、モーツァルトを聞きながら良い加減の温度になった飲み物をいただく。その後やはり珈琲が欲しくなる。

むかし山羊を飼っていました

子どもの頃色んな動物を飼いました。犬や猫は勿論こと、ウサギ、鶏、チャボ、山羊、豚、小鳥、七面鳥等。その中で山羊が一番手間がかかり役に立ちました。餌の調達、散歩、乳しぼり、小屋の掃除、近くに住む台湾人に頼まれて毎日配達。子どもは毎年3匹産みそれが皆不思議なことにオスでもなくメスでも無いのです。で、生まれたばかりは真っ白で小さくて可愛いのですが大きくしても何の役にも立たないので手放し、多分動物園の動物たちの餌になったのでしょう。それでも年を取った母山羊はもうこれが最後かなと思いながら頑張って子を産んだのがメスでした。山羊乳は独特の匂いがしてそれを嫌う方が多いと聞くけれど私は気にならずそのまま飲むよりご飯に掛けて頂くのが卵掛けより大好きで今思い出しても郷愁を覚え食べたくなります。姉はこれを嫌い「あっちで食べて!」と毎回喧嘩でしたよ。ここホームで山羊乳というわけにはいかないけど毎朝食出る牛乳をご飯に掛けたい・・・嫌われるでしょうか

 

何故ホームに

孫が1歳過ぎ動きもおしゃべりも活発になった頃、ご飯をよそったり落としたおもちゃを拾って渡すと「ありがと」と囁くように礼を述べた。なんて可愛い!

それが小学生になっても自然に出て来て不思議さえ感じていた。そんなある日息子がその妻に細やかなプレゼントを渡したら彼女が「ありがと」と孫のそれと同じトーンで言った。あ!孫は母親の日常を自然に身に付けていたのね。

彼女が居ればこの家は大丈夫。私は足腰がしっかりして日常が何不自由なく暮らせる今、病気や痴呆になり誇りを持ってやっている仕事を離職させてはならぬと、この家から離れる時だと判断しホームに入った。

ホームは楽しい。食事は作らなくて良いし風呂の掃除もしなくて良い。この暮らしは手放せ無い。でも時間がたっぷりあり過ぎて問題なのです。コロナが終わればボランティア活動も、外食も出来るようになるからそれを待ってまーす。

 

忘れ去ること②

父は私が10才の時死んだ

美化は出来ない、忘れ去ることも無かった。

想い出は沢山あり今でも存在感のある人物で。でも、自分の念いを貫いて私たちを置いて逝った。自殺ではない、病で病院でだったが勝手に、自分の望みではないが念いを遂げたのでは無いかと思う。

野の花や野草の食べ方、日本の昔の面白い話しや運針の仕方、エスペラント語、外国の大統領の名前とか色々面白く教えてくれた。

自分の居なくなった後の生活は想像したの?もし想像していたら生きる道をえらんだ?

この年になっても忘れ去ることは出来ない。美しくもならない。

この年になったからリアルに思い出されるの?かな

忘れ去りたい、そして今あることを喜びたい。

忘れ去ること

忘却とは忘れ去ること、と昔ラジオから聞こえ来たことばです。長く生きているといろんな時がありました。夜中に目が覚めると何十年か前の出来事がリアルに思い出されて、やり直したかったり悔しかったりです。頭の中にはそれらを入れた引き出しが沢山あり鍵が掛かっていたり錆び付いたりしてなかなか開かないのが突然開けられのですね。

アルツハイマーになった友人を訪ねた時、目は空を泳ぎ歯ぎしりして尋ね人になんの反応も無く横たわっていたのに、彼女の手を握って懐かしい歌を歌うと目に光が戻り歌詞は分からないがリズムはあいいっしょに数曲唄った。彼女の開かずの引き出しが開いた!

一日一日ため込んだ記憶の引き出しはなくならないで静かに整理されて佇んでいるたけ、でしょう?